日台間における人的交流の研究—戦後の観光発展史の変遷について—
Autor: | Hui-Ya Chuang, 莊惠雅 |
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Druh dokumentu: | 學位論文 ; thesis |
Popis: | 96 日本語要旨 台湾と日本は歴史上深い関係があるだけでなく、現在においても両国間の人的な交流は活発に行われている。戦後の日本人の訪台旅客数は、1976年に初めてアメリカ人旅客数を越え、訪台旅客ランキングの1位になった。そして2005年、日本の旅客は史上に例を見ない、百万人(112万)を突破し、台湾を訪れる旅客数全体の33%を占めた。2006年には、さらに116万人に達して最高記録を更新した。訪台市場の中で日本は最も重要な位置を占めている国であり、観光のために来台する日本人旅客が最も多い。 一方、台湾では1979年に政府は海外旅行を開放し、我が国の観光事業史に歴史的な新しい局面を切り拓いた。台湾人の訪日旅客も年々増加し続け、1988年に初めて韓国人の訪日旅客数を越え、訪日旅客ランキングの1位になった。その後、連続10年間第一位を維持した。2005年、日本は愛知博覧会を開催するに際して、台湾に対してノービザ措置を実施したことによって、訪日人数は118万人に達し、2006年にはさらに127万人に達した。これらの資料によって、台湾と日本は互いに重要な観光産業のパートナーであることが理解できる。 日台間の観光歴史の上では低迷期を経験したこともある。1972年の台日国交断絶の影響で、それまで大幅に増加していた来台日本人旅客数は3%のみ、しかも1974年の台日航路の断絶のため、台日航路が飛行を停止することを余儀なくされた。1999年には台湾中部921大地震が発生したため、その年の10月から、連続して3ヶ月間日本人の訪台数は毎月平均3分の1に減少した。2003年にはSARS疫病の発生によって台湾観光市場は大きな影響を受け、その年の5・6月には最大の日本市場が急激に9割も減少した。これらはすべて台湾観光に大きな衝撃をもたらす出来事であったが、いずれも一時的なものにとどまった。 この数年台日観光において重大な変更がいくつか行われた。例えば2005年には台湾は日本から永久ノービザ措置を獲得した。また、訪台日本人観光客が百万人を突破したこと、日台間のフライト便数が増加したこと、日本から導入した台湾新幹線が落成したことなどは台日両国の人的往来及び両国の観光上に多大な貢献を与えた。 以上のことから台日両国の間に、友好かつ信頼関係が樹立されていることが分かる。本論文の研究目的は、台日観光における両国の密接な関連性を探求し、戦後の台日観光の発展の歴史的変遷を考察し、訪台旅客の中でなぜ日本人旅客が最も多いのかということについて分析する。 |
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