Reflexion on Woolger

Jazyk: japonština
Rok vydání: 1994
Předmět:
Zdroj: 大阪教育大学紀要 第II部門:社会科学・生活科学. 43(1):1-12
ISSN: 0389-3456
Popis: 科学社会学者としてラフ・ファイトに馴染んだS.ウールガーが,「社会問題の社会学(SSP)」のアリーナに場外より突如乱入してからはや9年の歳月が過ぎ,『社会的構築主義再考』の発刊を機にしてそのさざめきも漸く収まりつつあるように思われる。『再考』に寄せた論文において,イバラとキツセはウールガーに対する返答を最終的にレトリック分析へと昇華させているが,今度はレトリック分析の適否をめぐって彼らが標的に回った感がある。しかし,論争の経緯については,夥多の紹介がなされているので触れる必要はないであろう1)。しかも火付け役となったウールガー本人は,『ゲリマン』論文以降,SSPのバトルロイヤルに再び参戦することはなかった。そこで本稿では,『ゲリマン』以外のウールガーの姿を紹介することで別の角度からこの論争にスポットを当てること,つまり彼本来のアリーナであるSSK(Sociology of Scientific Knowledge)の領域での戦績を辿ることで一風変わった?そのファイティング・スタイルを浮き彫りにすることを試みたい。本稿は,II部構成になっている。Iは,ウールガーとエスノメソドロジーの関係を扱ったものである。IIは,Iを受けながら彼のSSK理論の中心概念であるリフレクシヴィティを改めて論じている。筆者は昨年の共著論文でも今回と類似したテーマを扱っている。それ故本稿は前稿のパラフレイズであると考えていただいてよい。特にIIは,前著では論じ切れなかったリフレクシヴィティについての議論を続けた感がある。それゆえ《続編》という意味を込めて,IIでは〈形〉の上でも前著のスタイルを踏襲することにした。
In previous paper our research group reexamined the controvercies on social constructionism that were brought about by S.Woolger's poremical essay,“Ontrogical Gerrmandering."This essay,consisting of two parts,also relates the problems it remains.In part I,I once again deal with two of other controvercies,the first with B.Barnes and the second with H.M.Collins and S.Yearly,that Woolger was entangled in.In both,he has argued about the centrality of reflexivity that has been neglected although of the development of the sociology of scientific knowledge for a decade or so.Then,it is not impossible to conclude that Woolger's SSK is much true to Garfinkel's basic ideas.In part II,I rethink referencial or
and radical reflexivity which is advocated by M.Pollner and also by OKADA and YOSHII.Although radical reflexivity is somewhat different from Woolger's constitutive reflexivity,both belong to`week'reflexivity because neither discriminates self-referential attitudes from phenomenon-refrential attitudes.
Databáze: OpenAIRE