'Neo-Confucianism of East Asia' and Yi T'oegye in Modern Japan : Debates on Yi T'oegye by Kimon and Kumamoto Practical Learning Schools and 'Morality'
Jazyk: | japonština |
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Rok vydání: | 2020 |
Předmět: | |
Zdroj: | 日本研究 = NIHON KENKYŪ. 60:95-117 |
ISSN: | 2434-3110 |
Popis: | 本稿は、日本を代表する李退渓研究者であった阿部吉雄が、京城帝国大学助教授時代に刊行した〈日本教育先哲叢書〉の第23 巻(最終巻)『李退渓』(1944 年)を執筆するに至るまでの、近代日本における李退渓研究の歩みを思想史的側面から考察したものである。そのための分析対象としたのは明治時代以後の「崎門(山崎闇斎学派)および「熊本実学派」の李退渓をめぐる議論である。『李退渓』には、学問の系統が異なる「崎門」の李退渓論と「熊本実学派」のそれが全体的に結びつけられたような語りがみられる。そうした両学派が統合された李退渓論は、すでに1940 年、肥前平戸藩の儒者楠本碩水の門人岡直養(なおかい)が訂補・刊行した『崎門学脈系譜』の岡直養編録「崎門学脈系譜付録一」にみられる。まさにここに、山崎闇斎および元田永孚(ながざねの両者がともに李退渓から影響を受けたという李退渓研究の端緒が見えてくるのである。 本論文は、1940 年代の李退渓言説を、主に「道義」という鍵概念から捉える試みである。本研究によって明らかになったことは、明治時代の李退渓言説を「道義」という観点から捉えることは難しく、また、それが1940 年代以降の李退渓言説とも連続しないということである。明確なかたちで「道義」という視点から李退渓を論じる阿部の『李退渓』の登場は、必ずしも李退渓言説に限らず、その前後の帝国日本および植民地朝鮮における多様な言説空間の変化に繫がりをもつものであった。阿部は『李退渓』において、李退渓を「半島に於ける道学の教祖、道義哲学の創唱者」と捉えながらも、山崎闇斎および元田永孚の「道義思想」を李退渓のそれとの関わりで論じているが、特に山崎闇斎の思想を「道義」的な観点から照明しようとする阿部の立場は、すでに1939 年の論考に表れている。 本稿では、このように、明治期以降の「崎門」における李退渓論、および主に「教育勅語」の文脈において語り始められた「熊本実学派」と李退渓との関係をめぐる議論について考察している。 |
Databáze: | OpenAIRE |
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