ダアワ党とシーア派宗教界の連携 : 現代イラクにおけるイスラーム革命運動の源流

Jazyk: japonština
Rok vydání: 2006
Zdroj: 現代の中東. 41:2-20
ISSN: 0912-8107
Popis: 現代イラクは,劇的な政治変動を経験している。概観すると,1958年の共和国革命から1968年のアラブ社会主義バアス党(H__・izb al-Ba‘th al-‘Arabl^^- al-Ishtira^^-kl^^-,以下,バアス党)政権成立までは,三つの政権が短期間のうちに入れ替わる,不安定な時期であった。一方,1968年から2003年までのバアス党政権では,数々の戦乱にもかかわらず,国内体制は比較的安定を保っていた。2003年以降はきわめて混乱した状況が続いている。本稿で扱うイスラーム・ダアワ党(H__・izb al-Da‘wa al-Isla^^-ml^^-ya,以下,ダアワ党)は,1958年革命前夜に発足し,不安定な10年間で勢力を拡大した。その後バアス党政権の苛烈な弾圧を生き延び,イラク戦争後の2005年には,イブラーヒーム・ジャアファリー(Ibra^^-hl^^-m al^^-Ja‘farl^^-)党首を移行政権の首相に輩出するなど,イラク政治の中枢に躍り出た。現代のイラク政治における,ダアワ党の重要性は論を待たず,現在,その研究は緊要の課題と認識されつつある。ダアワ党理解においてひとつのカギとなるのは,シーア派宗教界との関係であろう。例えば,2005年1 月の国民議会(国会)選挙に先立ち,ジャアファリー党首は現在のシーア派最高権威であるアリー・スィースターニー(‘All^^- al-Sl^^-sta^^-nl^^-)師とナジャフで協議を行い[al-Zama^^-n 2004],同師の支持をとりつけた。また,2005年12月の国民議会選挙の際も,両者は会合をもち[al-‘Arabl^^-ya TV 2005],年が明けてからも,ジャアファリー党首はナジャフに出向いて会談を行い,スィースターニー師はイラク新政府早期樹立の必要性を強調した[al-‘Arabl^^-ya TV 2006]。このように,最近の政治状況をみると,ダアワ党はシーア派宗教界の動向を見極めて政策を決定していると言える(注1)。これは現在に限ったことではない。ダアワ党は,シーア派宗教界との密接な関連をもって創設されたのである。そこで本稿では,政党とシーア派宗教界の関係を解きほぐす手がかりとして,両者が緊密な関係を保持していたダアワ党成立期(1957~72年)(注2)に焦点を当てたい。本稿は,これまで明確でなかったダアワ党創設のプロセスを明らかにし,指導部メンバーの構成と組織・活動をとおしてダアワ党とシーア派宗教界,すなわちハウザ(al-h__・awza al-‘ilml^^-ya)およびシーア派最高権威のマルジャイーヤ(marja‘l^^-ya)との関係に分析を加えるものである。まず,第Ⅰ節では,ダアワ党成立の背景となるイラクの政治・社会状況をふまえて,成立のプロセスと要因を論じる。次に,第Ⅱ節では,ダアワ党の創始者の一人であるムハンマド・バーキル・サドル(Muh__・ammad Ba^^-qir al-S__・adr,1935~80年,以下,サドル)の政治思想をとおしてダアワ党が掲げる理念を検討し,第Ⅲ節ではダアワ党の実際の指導部と組織活動を確認する。以上をとおして,包括的な成立期ダアワ党像を描き,党指導部とシーア派宗教界の関係を明らかにしたい。
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