オリエンタル ギンコウ セツリツ ノ ヒトコマ
Jazyk: | japonština |
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Rok vydání: | 2005 |
Předmět: | |
Zdroj: | 三田商学研究. 48(5):41-61 |
ISSN: | 0544-571X |
Popis: | オリエンタル銀行Oriental Bank Corporationは,19世紀中葉から破綻を遂げる1884年までの四半世紀という短期間ではあったが,アジアにおける貿易金融や資本取引に従事した最大手の英系国際銀行=東洋為替銀行Eastern Exchange Bank として知られる。だが不幸にして1884年に経営破綻に陥ったため経営文書が破棄・散逸され,その重要性に比して研究が著しく立ち遅れた国際銀行の一つとなっている。東インド会社の監督下に営業していたインドの管区銀行Presidency Banksの営業範囲は東インド会社の管轄地内に限られ,外国為替の取引が禁止されていた。そのため為替取引と貿易金融を専門に行う国際銀行の設立が必要とされた。このような目的から1842年に西インド銀行Bank ofWestern Indiaがボンベイに創設された。同行は,1845年に新規の設立証書にもとづきオリエンタル銀行Oriental Bank へと行名を変更し,ロンドンに取締役会を設置した。オリエンタル銀行は,数次にわたり枢密院やインド政庁に対して銀行業の特許状を請願したが失敗に終わった。このため同行は,既に「特許銀行」として営業していたセイロン銀行Bank of Ceylonの特許状を継承して,自らの銀行営業に役立てようと考え,セイロン銀行を買収した。こうして,1851年に特許状が授与され,オリエンタル銀行Oriental Bank Corporationとして新たに設立をみた。本稿では,英国国立文書館National Archives所蔵の大蔵省文書や『タイムスThe Times』紙,『銀行家雑誌Bankers’Magazine』,『エコノミスト誌The Economist』などの定期刊行物を利用することにより,オリエンタル銀行の創設過程を明らかにする。 故玉置紀夫教授追悼号 |
Databáze: | OpenAIRE |
Externí odkaz: |