叙述のアルタナィーフとしてのエッセイ(1)

Autor: Hamazaki, Keiko
Jazyk: němčina
Rok vydání: 1996
Zdroj: 学習院大学人文科学論集. (5):125-142
ISSN: 0919-0791
Popis: application/pdf
フラソス語で「試み」を意味する「エッセイ」というジャソルは,しぼしば「学問と芸術との中間領域」にあるとされる。文芸学では,この自由で独特な散文形式を,個々の例を分析し,類似するジャソルとの境界線を探ることで定義づける試みがなされている。一方,エッセイを書くものがこの形式の輪郭を定めようとする揚合,多くは独自の思考の表現の可能性の模索という性質を帯びる。 中でも近代における「社会に対する社会的アンチテーゼ」としての芸術の意味を問うたテオドーア・アドルノは『形式としてのエッセイ』(1958)において,芸術と分断された「精神なき精神科学」に対するアルタナティーフとしてのエッセイの可能性を問題としている。デカルト以来の近代科学が想定する体系と方法に対立するエッセイは,あらゆる前提から自由な精神をもって,「方法として方法を否定し」,対象を秩序によってではなく,絶えず変化する「配置構成」(=Konfiguration)において認識する。その思考は,ことぽの明確さによってではなく「モザイクのような」関連の中で,ことぽと事物との一致を前提するのではなく,その不一致を意識させるような開かれた形式をもって表現されねばならない。科学が前提する欺隔としての「全体性」に対し,エッセイはその思考と表現との両面から,「美的」に「断片」を重視することによって「別の全体性」を示すのである。アドルノは,こうしたエッセイを,自由な精神を喚起するものととらえ,たえず「完全性」を否定し,到達しえないユートピアを求めて模索を続ける思考の「試み」を見ているのである。
Databáze: OpenAIRE