Consideration on Film Producer in the Interwar Period : Through Bantsuma's Found Film
Jazyk: | japonština |
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Rok vydání: | 2022 |
Předmět: | |
Zdroj: | 宝塚大学紀要 = Bulletin of Takarazuka University. 35:23-45 |
ISSN: | 0914-7543 |
Popis: | 阪東妻三郎は大正から昭和にかけて日本映画界で活躍した剣戟スターである。2014年2月、阪東妻三郎(以下、阪妻と略す)に関するいくつかのフィルムが田村家(阪妻の本名は田村傳吉)で発見された。それらは阪妻が使っていた行李の中に入ったまま、田村家の倉庫におよそ一世紀もの間、保管されていた。3本のフィルムのうち2本は35㎜、残りの1本は16㎜だった。16㎜のフィルムには阪妻が幼い息子たちとキャッチボールをしたり、海水浴でおどけたりする未公開のプライベート映像が収められていた(1)。35㎜の2本のうち片方は、51歳でこの世を去った阪妻の葬儀の様子を収録したものだった(2)。今回焦点となる残り1本の35㎜フィルムは損傷が激しいため大阪のIMAGICA Lab. (当時はIMAGICAウェスト)に修復、復元が依頼された。1ヵ月後甦ったフィルムに写っていたのは、阪妻が自らの撮影所である人物をもてなす姿であった。そしてその人物とは、大韓帝国最後の皇太子、李垠だったのである。いったい何のためにそのフィルムは撮影されたのか。そしてなぜそのフィルムは長い間、封印されていたのか。 本論文は、発掘された阪妻のフィルムをきっかけとして、第一次世界大戦と第二次世界大戦という2つの戦争の間である「戦間期」における映画プロデューサーの存在について独自の視点から考察するものである。当時の映画産業を考察した先行研究は数多く発表されている。それらを丹念に検証し、その特異な時代背景を踏まえながら阪東妻三郎という剣戟スターの歴史を改めて見直すことを試みる。そして阪妻の全盛期にプロデューサー的な立場として関わった立花良介という人物に光を当ててゆく。その際に著者の35年に至る映像制作の経験や専門知を活用し、また映画業界、芸能界における慣習を鑑みながら検証を行ってゆく。最終的には、「映画スターとプロデューサー」という関係値をあぶりだすことで、激動の時代を乗り越えてゆこうとした映画プロデューサーの実情を浮き彫りにしてみたい。 |
Databáze: | OpenAIRE |
Externí odkaz: |