イヌの僧帽弁置換術に関する実験的研究
Jazyk: | japonština |
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Popis: | 心臓内における各弁膜の機能は、単に血液の逆流を防止するだけのものではなく、心臓の収縮性にも大きく関与している。したがってその機能障害は、前負荷の増大のみならず、すべての心機能に直接的な影響を与えるものと考えられる。多くの心疾患のうち僧帽弁閉鎖不全症(MI)は、ヒトおよびイヌの弁疾患としては最も発生頻度が高い疾患であり、この意味から獣医臨床領域においても極めて重要な位置を占めている。MIの治療は、従来より強心利尿薬を中心とした内科的療法が行われているが、弁膜の心機能に果たしている役割を考慮した場合、このような内科的療法よりも、外科的に弁の機能を回復させる方法が、より理論的な治療法であると考えられる。医学領域においては、MIに対する外科的療法として弁そのものを修復する弁再建術および人工弁で代償させる僧帽弁置換術(MVR)が行われている。一方、獣医学領域においては、MIの症例が多いにもかかわらずこのような外科的療法は全く確立されておらず、ごく一部で大型犬に対して、ヒト用の人工弁を応用して実験的にMVRが行われているに過ぎない。しかしながら、実際の臨床で多く認められるMIは小型犬がほとんどであることから考えれば、小型犬に応用できるMVRの確立が強く望まれる。以上の背景をもとに、著者は、小型犬に対するMVRの確立を目的として、僧帽弁の基本的形態を再検討するとともに、得られたデーターからMVRに必要な人工弁を作製してその機能を確認すると同時に、作製した同種人工弁を用いて実際にMVRを実施した結果、小型犬に可能なMVRの方法を確立することができた。 1. イヌの正常僧帽弁の形態学的検索 イヌ用人工弁の開発、あるいは実際にMVRを実施する場合に必要なイヌの僧帽弁に関する正常形態の把握を目的として、正常心に対して形態学的な検索を実施した。この場合、実際のMIにおける僧帽弁の形態学的特徴から、僧帽弁輪周囲長(MVac)と体重(BW)の関係およびMIの主要病変を形成すると思われる腱索ならびに弁尖の形態について検討を行った。その結果、MVacとBWには正の相関関係(r=0.76)が認められ、MVacはBWの増加にともない増加する傾向が認められた。しかしながら、MVac/BWとBWは逆に負の相関(r=-0.83)が認められ、単位体重あたりのMVacは体重の増加にともない減少することが判明した。そこで、114例のイヌを各体重群に分類し、MVacおよび弁輪部の直径(MVad)の平均値を算出した結果、体重5~10kgのイヌでは、MVadはおおむね15~22mmの範囲にあった。この成績は、実際に人工弁の移植を行う際に必要な患畜の弁輪部の直径を知るための指標となるとともに、人工弁作製上の資料として有用であるものと考えられた。腱索および弁尖の形態学的観察では、イヌの僧帽弁の弁尖に付着する腱索の乳頭筋からの起始数はヒトと比較して少なく、前尖(中隔尖)で平均2本、後尖(壁側尖)で平均9本の腱索が起始していた。交連部の形態はかなり特徴的であったが、Lamら(1970)、Ranganathanら(1970)の定義に準じた場合、前後の交連部でその定義を満たした例は12%、前交連部のみ満たした例45%、後交連部のみ満たした例は5%に過ぎず、イヌの交連部の形態は画一的ではないことが判明した。また、交連部腱索に注目した場合、その主軸が前尖方向に転移している例が前交連部で51%、後交連部で29%認められ、このような例では、本来の交連部が比較的細い腱索で支持されていた。したがってこの部位は、物理的な負荷に対して比較的脆弱であることが推察され、実際のMIが交連部に多発することから考えあわせた場合、興味深い所見であると考えられた。以上の成績は、イヌのMIが、形態学的にも交連部に限局する可能性があるとすれば、外科手術としては弁の再建術よりもむしろMVRが有効であると推察された。 2. イヌ同種人工弁の作製ならびに in vitro における弁機能評価 MVRに必要な人工弁の作製を目的として、イヌの僧帽弁の形態学的検索より得られたデーターに基づき、イヌ用同種人工弁の作製を試みるとともに、その開閉機能を in vitro における実験で確認した。同種人工弁作製の材料は、機能的な柔軟性および抗血栓性を重視し、イヌ大動脈弁を用いた。大動脈弁は、4℃ハンクス液に約2時間浸漬し、さらに40℃メタ過ヨウ素酸ナトリウム溶液に24時間浸漬した。次いで1%エチレングリコールで約1時間にわたりメタ過ヨウ素酸ナトリウムの中和を行ったのち、0.05%グルタールアルデヒドで1週間以上固定を行った。固定の終了した大動脈弁を、抗血栓材料で被覆した補助枠で支持することにより同種人工弁を作製した。完成した同種人工弁を拍動ポンプを利用した循環回路内の僧帽弁位に装着し、拍動流下で開閉状態を観察した。この場合、開閉機能のパラメーターとして左室、左房レベルにおける圧曲線および拍出量を測定し、同種人工弁の閉鎖不全および狭窄の状態について比較検討を行った。その結果、閉鎖不全弁では圧曲線の平担化、左室レベルの収縮期圧および拍出量の低下、また、狭窄弁では拡張期における左室レベルの圧較差の増大が認められ、左室レベルへの流入障害の所見が得られた。これに対し、正常弁では、極めて良好な開閉運動が観察されたと同時に圧曲線の形状も比較的生体に近似した波形であったことから、著者の作製した同種人工弁は in vitro において、極めて良好な機能を有し逆流および狭窄の可能性が少ないことが確認された。特に、完成した同種人工弁の弁口面積と、これまでに実地した僧帽弁と体重との形態学的な所見とを考えあわせれば、同じ程度の体重のイヌの大動脈弁を利用すれば、十分に弁口面積が確保できることが判明し、生体応用の可能性が強く示唆された。 3. 交差循環法によるイヌ同種人工弁を用いた実験的僧帽弁置換術 作製した同種人工弁が生体内においても十分に機能し、心機能を維持することが可能であるか否かを知ると同時に、手術手技の確立を検討する目的で体重10kg以下の比較的小型な正常犬を対象として、交差循環下で開心術を行い、同種人工弁を僧帽弁口部へ置換し、小型犬における交差循環法を用いたMVRの可能性を追及した。すなわち、胸骨縦切開法によって開胸したのち交差循環法を用いて心肺機能を代用しながら左房横切開を行い、僧帽弁を露出した。置換した人工弁の弁輪部への縫着は単純連続縫合で行い、左房縫合ののち、心拍再開を行った。心拍は全例で1回の除細動で再開し、心機能が安定した時点で交差循環から離脱させ閉胸した。術後は、経時的に観察を行うと同時に血圧および左室造影、心拍出量、心電図および心音図の記録ならびに血液および血液ガス検査を実施し、置換した弁の機能、心機能ならびにそのほかの生体機能について総合的に検討を加えた。その結果、心拍出量は術後低下し、置換前の約70%で推移したものの、血圧は極めて安定して経過し、全経過を通して大動脈収縮期圧(Aos)で80mmHg以上を維持することができた。また、前負荷の指標として用いた平均左房圧(LAm)および左室拡張終期圧(LVEDP)は術後やや上昇する傾向が認められたが、その変動は生理的範囲内の変動であった。心電図においても術後重篤な不整脈は出現せず、また左室造影所見では2例においてわずかな逆流が認められたものの、他の5例では全く逆流は認められなかった。その他、MVRを含めた開心術後に合併することが多いといわれている溶血性貧血、腎機能不全あるいは呼吸機能不全が疑われた例はなかった。術後8時間後における剖検時に、心臓および人工弁を肉眼的ならびに走査型電子顕微鏡により検査したが、左房内よび置換した人工弁表面上の血栓形成はほとんど認められなかった。これらの所見から、作製したイヌ同種人工弁は生体内においても充分にその機能を維持していることが確認されたと同時に、同種人工弁置換による心機能およびその他の生体機能に与える影響は少ないものと判断された。 以上、これまで実施されていなかった、10kg以下の小型犬を対象としたMVRを交差循環法ならびに著者の作製したイヌ同種人工弁を用いて比較的容易に、かつ安全に実施することができた。このことは、実際の臨床で多発しているMIに対する外科療法の可能性を大きく推進するものと思われ、獣医心臓外科の分野に大きく貢献するものと考えらる。とくに著者の仮定したように、同程度の体重のイヌならばその大動脈弁を僧帽弁位に置換することが可能であることが示唆されたことは、今後におけるMVR実施時の指標として重要であると考えられた。しかしながら、実際の臨床例においては、いくつかの問題を有する可能性も考えられる。特に実際の臨床ではかなり長期間の人工弁置換が必要であることからすれば、今後は長期的な抗血栓性および同種人工弁の耐久性などについて、検討を加える必要があると考えられる。 |
Databáze: | OpenAIRE |
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