ヒガシ ニホン ダイシンサイゴ ノ ボウサイ キョウイク ノ カダイ ト カリキュラム ノ ヘンセイ

Jazyk: japonština
Rok vydání: 2016
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Zdroj: 科学/人間. 45:23-74
ISSN: 0288-5387
Popis: 東日本大震災からほぼ5年が経過する。未曾有の災害に見舞われ、教育観や社会観の転換をも迫られ被災地ではそれぞれ復興に取り組んできたにもかかわらず、2012年6月25日の『日本教育新聞』によれば、注目された「防災教育」の本格的実施に小中学校長の9割が不要と答えている。これは新井郁夫上越教育大学名誉教授を中心とする(財)教育調査研究所が2011年11月岩手、宮城を含む26都道府県の公立小・中学校長に対する調査で明らかになったことである。中央教育審議会などで検討課題となり、また文科省は防災教育等の有識者会議で教科化を含む教育課程上の位置づけについて検討し、系統的に指導することなどの方策も探っていることや、兵庫県立舞子高校防災科長諏訪清二氏らが防災に関する新教科創設を訴える声にほとんど関心が無いのではないかと思われる調査結果である。こうした校長たちの認識はどういった背景から生まれるのだろうか。被災地復興は十分進んでおらず、新自由主義を基調とした権力的地域再編と教育の国家統制が進んでおり、地方自治体の衰退は子どもたちや市民が育ちあう基盤を著しく脆弱化した。また新自由主義を背景とする規制緩和路線は非正規雇用増大に見る労働基本権の蹂躙、経済格差や子どもの貧困の拡大をもたらしており、それらは被災地でより深刻化している。未来を描くことが困難になり、学びからの逃走も進むほか、学ぼうとする意欲さえ失いつつあるのではないか。こうした事態が進行することに教育関係者は歴史的、倫理的責任は感じないのだろうか。行政や多くの企業は、迫りつつある東南海地震による津波対策や土石流の発生などに備えた施設・設備、市民による防災訓練、命を守り抜くため防災体制を着々と進めている。静岡県、高知県などは職員教育や情報ネットワーク整備にも熱心である。後述するが、肝心の教育現場のトップは既存の体制にすがりついたまま指示待ちとなり、現実や次なる事態を想定しながら学校教育や地域の社会教育、生涯学習と連携する教育の創造、なかんずく命を守り育てる教育のあり方に消極的であるようだ。本稿では、そうした現状と児童生徒の発達や自治の担い手としての市民の政治的成熟、シティズンシップ形成を促す学校教育及び生涯学習・社会教育を、1:震災後露わになった新自由主義による被災地復興という名の地域再編の現実と資本、行政の活動が教育に与える影響。2:住民自治を基本とした学習運動による地域復興のありかた。3:自治体広域合併による自治の衰退と教育基盤の崩壊とそれに対応する教職員。4:震災後の学校再開、教育復興のための学習プログラムの修正や実践の実態。5:被災現場や被災児童、市民、教職員の現状に目を閉ざす教育行政。6:放射能汚染、被爆に対する教職員の対応と放射線教育の方向性。7:防災教育カリキュラムの特徴と課題などの点から考察した。結論的に言えば、未曾有の災害を食い物にする勢力と政治の遂行が社会的共通資本をはじめとする共同体の基盤や社会関係資本を根底から崩し、地方消滅を促している問題と言える。労働者の生きる権利や国民の教育の自由を奪い、違憲とも称される内閣による地域、国家再編が進められ、それが道徳の教科化というような心の支配に進んでいる、という問題点も指摘できる。しかも、ここに見て取れるのは、軍事大国を目指すことが「普通の国」とされ、沖縄県民が蹂躙され、日本国憲法によって国是とされてきた平和と民主主義が危機に瀕している、ということである。それゆえ、平和的生存権を前提にし、個人の尊厳性、幸福追求をそれぞれの地域で追求し人間らしく生きること、そうした関係性を他者との協働、協同で自ら作り上げること。すなわち、地方自治の根幹であり日本国憲法第95条に見る地域住民の自己決定権と自立にかかわる自治の精神を発揮することが求められるのである。学習指導要領を基本としつつも、学校教育と社会教育の融合による社会的共通資本としての教育の復権と教育課程編成や実践が求められる。震災後の地域社会と学校教育の再生には、自立、協同と共生による教育の再創造が必要なのである。
Databáze: OpenAIRE