朋誠喜三二研究 : 黄表紙を中心に
Autor: | Furusho, Rui |
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Jazyk: | japonština |
Popis: | 本稿は、十八世紀後半に活躍した江戸戯作者の朋誠堂喜三二が執筆した黄表紙のうち、四作品を扱った四章二十二節の論に加え、小田原名物薬のういろうに関連する付論によって構成される。また、附録として、喜三二研究における翻刻影印注釈や主な先行研究一覧を添えた。 序章では、本論の研究課題と各章の要約、喜三二の生涯の概観を述べた。第一章から第四章にかけては、喜三二作の黄表紙に描かれる特定の登場人物に注目し、それぞれの形成過程や背景、作中における役割に関する調査・分析を通して、各作品における喜三二の趣向について考察した。以下に概要を記す。 第一章「『親敵討腹鞁』論」では、赤本『兎大手柄』、黒本『かち\/山』、そして喜三二作の黄表紙『親敵討腹鞁(おやのかたきうてやはらつづみ)』(安永六年〈一七七七〉刊)に登場するそれぞれの兎について考察した。第一節では昔話「かちかち山」に関する先行研究に触れ、第二節では、『兎大手柄』、『かち\/山』、『親敵討腹鞁』の三作品の性格的特徴を比較した。『兎大手柄』と『かち\/山』の方では正義感や賢さ、狡猾さがある一方、『親敵討腹鞁』の兎はその賢さ、狡猾さが抜けている代わりに、間抜けさや不信心といった頼りなさ、義理人情の厚さという要素があり、その不完全さが人間らしく描かれていると結論づけた。また、本来道徳的で心揺さぶられる場面も、それを擬人化した動物にやらせ、動物ならではの描写によって諧謔的で滑稽な場面に塗り替える趣向は、教訓的で真面目な昔話をどこまでユーモアにできるのかという喜三二の挑戦であると述べた。第三節では、絵の描き方の違いとして、三作品における兎の肉付きや頭部を比較した。『兎大手柄』の兎の姿に比べると『親敵討腹鞁』の兎には狸を倒すような強さはなく、体格でもその強さは表現されていない。画師の違いもあるが、内面的なもの絵に反映されていると結論づけた。また、頭部の描写では、『兎の大手柄』から『親敵討腹鞁』への過程を見て、いわゆる動物の「兎」から「兎の顔をした一人の登場人物」へと昇格したことを確認した。最後に、『親敵討腹鞁』の兎のような擬人化表現の背景について、近世において人間主義への関心が高まりと、黄表紙特有の「うがち」の見方を関連づけて論じた。 第二章「『龍都四国噂』論」では、『龍都四国噂(たつのみやこしこくうわさ)』(安永九年刊)中で佐治兵衛が物真似をする二代目八百蔵について、物語の構造と合わせて考察した。第一節では板元蔦屋重三郎と絡めた本作の刊行背景について先行研究を取り上げた。第二節では実在した二代目八百蔵に取材した追善物の出版流行に触れ、本作に隠されている地獄めぐり譚の物語構造との関連について論じた。第三節では、源内と喜三二の繋がりに関する先行研究を踏まえつつ、『龍都四国噂』が源内作『根南志具佐(ねなしぐさ)』(宝暦十三年〈一七六三〉・明和六年〈一七六九〉刊)の影響を受けている箇所について分析し、本作が源内に対する喜三二の敬意が表れた黄表紙の希少な例であると結論づけた。四節では、『龍都四国噂』論のまとめとして、作品評価を述べた。五節では『龍都四国噂』の翻刻と注釈を試みた。 第三章「『天道大福帳』論」では、『新建立忠臣蔵天道大福帳(てんとうだいふくちよう)』(天明六年〈一七八六〉刊)の「天道」の図像と呼び名について、二十四の関連作品との比較から、人物のイメージや戯作者間の関係性など、物語背景への読み解きを試みた。『天道大福帳』の「天道」が日輪を擬人化したような姿をしており、天の主宰者的立場の人物(「天の主宰者」と略す)の代表格として後続する黄表紙に幾度も描かれた。第一節ではいわゆる天界ものの黄表紙と『天道大福帳』の「天道」の人気の背景について述べ、研究課題を提示した。第二節では、黄表紙に登場する天の主宰者の呼び名には「天道」と「天帝」が多いことに触れ、第三節では前節を受けて、二十四作における図像と呼び名の関係について分析した。図像には主に三つの型の系統に別れ、呼び名によって使用される図像の型の傾向もそれぞれ異なることや、天の主宰者の描き分けが初めから明確に認識されていたわけではなく、天界を題材とした黄表紙が複数刊行されていく過程で次第に区別されていったことを示した。第四節では天の主宰者像をめぐって、喜三二と山東京伝との関係性について言及した。第五節では、『天道大福帳』の「天道」が持つ神秘性と人間性から生まれるユーモアや愛らしさといった魅力について論じた。 第四章「『文武二道万石通』論」では、寛政の改革を取り上げた『文武二道万石通(ぶんぶにどうまんごくとうし)』(天明八年刊)の畠山重忠について考察した。第一節では、この登場人物に松平定信や四代目松本幸四郎の当て込まれていることに関して先行研究を取り上げ、研究課題も提示した。第二節では黄表紙以前の文芸における重忠像の形成について整理した。知略に富み、現実的ではあっても、情け深く物分かりの良い人物像を構築したのは、中世の曾我物や景清物の謡曲や幸若舞、そしてそこから発展した浄瑠璃や歌舞伎などの芸能であった。第三節ではこれを受けて、喜三二作品における重忠像について、『珍献立曾我(めづらしいこんだてそが)』(安永六年刊)から『文武二道万石通』に至るまでのまでの作品を比較し、その変遷を確認した。黄表紙における重忠の描写は景清物の「大仏供養」の件が取り上げられることが多く、喜三二作品でも同様の傾向が見られる。喜三二は自身の黄表紙に幾度も重忠を登場させてきたが、その中で構築されてきた重忠像の到達点を『景清百人一首(かげきよひやくにんいつしゆ)』(天明二年刊)に見ると結論づけた。第四節では、『文武二道万石通』の異版の問題に触れた上で、他の寛政改革に取材した黄表紙との比較しながら、『文武二道万石通』における重忠像の描写について考察した。『文武二道万石通』における重忠、四代目幸四郎、そして定信と三人も重ねて一人の人物像とする複雑な描写は、喜三二のこれまでの執筆過程での習練なくしては成し得なかった。本作は寛政改革に取材した黄表紙における重忠像を生み出した先蹤的な作品と言える。最後に、喜三二の寛政改革の当て込みに対する姿勢についても言及した。 付論「小田原名物ういろうと江戸文芸」では、小田原の名物で、日本最古の製薬と言われるういろうについて、歴史的背景と江戸文芸との関係性について論じた。第一節では、この薬の江戸当時の評判を紹介し、研究課題を提示した。第二節では、十四世紀後半に明より霊宝丹(れっぽうたん)という薬が日本にもたらされたことから始まる、ういろうの歴史と効能に関する史料を取り上げた。第三節では、享保三年〈一七一八〉に二代目市川団十郎によって初演された「外郎売」の科白の内容や表現方法について論じた。薬の由来を語るだけでなく、様々な修辞法を用いた言語遊戯や頼光伝説が含まれており、文芸的な価値も高い。第四節では、ういろうに取材した黄表紙や滑稽本など江戸文学をみていき、薬の取り上げ方について論じた。「外郎売」の科白自体が庶民の間で広まったことで、特に滑舌の良さの印象が薬と結びつけられるようになった。「外郎売」の科白の流行は喜三二の随筆『後はむかし物語』の中でも触れられる。小田原ういろうは、その効能とともに「外郎売」の科白を広めたことで、江戸文芸に豊かな味わいを与えたと結論づけた。 本研究によって、喜三二作品の登場人物がいかに多くの既存の物語や人々の物事に対する認識、当時の出来事などが反映されていたかが明らかになった。そして、それらを巧みにまとめ上げる喜三二の技量の高さを確認するに至った。江戸後期の文芸における古典作品や文化の享受のあり方への理解を深める上で、黄表紙の研究は有用性が高いものである。 application/pdf |
Databáze: | OpenAIRE |
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