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一般に責任とは、問題となっている行為を実行した行為者とその周囲の他者たちの間で成立するものである。とりわけ道徳的責任は、ストローソンのいう、他者たちの「反応的感情・態度」によって成立する。すなわち道徳的責任は、問題となっている行為がなされた後で、その行為に対する他者たちの反応的態度がその行為者に差し向けられるという仕方で、行為者に対して遡及的に成立するものなのである。そして、問題となっている行為が因果的に決定されたものであるなら、行為者に対する道徳的責任の追及はなされないか、あるいはその追及は弱められることになる。いわゆるフランクファート事例が明らかにしているように、問題になっている行為に関して他行為の選択可能性がなかった場合でも、当該の行為に対して道徳的責任を追及することは可能である。重要なのはその行為の意味が他者たちにどう受け止められたかであり、この点において、道徳的責任は決定論と両立可能である。道徳的責任の成立条件として有望に思われるのは、フィッシャーとラヴィッツァが示した「誘導コントロール」という考え方である。つまり、行為者の「誘導コントロール」の下にあった行為については、道徳的責任を追及することができる。 しかしそうだとしても、この「誘導コントロール」は自由意志を前提するものではなく、道徳的責任が追及される行為ないし行動のすべてにおいて、自由意志が必ず見いだされるというわけではない。したがって、道徳的責任は自由意志を前提とするものではない。ただしこの結論は、自由意志をどのようなものと捉えるかによって変わってくる可能性がある。 |