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この論文では、ベンヤミンの近代批判のポイントの一つである「野蛮」の概念をテーマとしている。ベンヤミンの「野蛮」の概念には、経験の貧困化とともに、法秩序によって運命づけられた暴力に支配されていることが露になった近代、という意味の否定的な「野蛮」と、そのような近代こそ、新しい歴史の局面を切り開く破壊的な力が発揮される機会である、という肯定的な「野蛮」が含まれている。ベンヤミンの『暴力批判論』では、この近代における「野蛮」が、近代以前の権力構造がそうであったように、近代法においても神話的暴力が支配的であることから示されている。だが、主権が神話の世界における神々から世俗の君主によって奪われたとき、神々と人間の間に不可侵の境界として定められた法は、その力を失っている。にもかかわらず、この不可侵性を持っているかのごとく振る舞い続ける近代の「野蛮」さこそ、打破されなければならないのである。そのために、神的暴力という革命的な暴力が要請されている。それは必ずしも粗暴な暴力を示すのではなく、洗練された暴力でもある。神的暴力は、不可侵の領域であり、人間にとって決定性を欠くがゆえに非暴力的な領域、すなわち「純粋言語」にこそ、潜んでいる。 |