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カール・ビューラーは、1922-38年の間、ウィーン大学哲学部教授として心理学研究所を運営する傍ら、ウィーン市の教育研究所においても教員養成に与るなど、彼の生涯において最も生産的な研究生活を送った。妻のシャーロッテとともに心理学におけるウィーン学派を樹立した。 本論文は、ウィーン時代におけるビューラーの研究活動を、同時代の哲学の世界において主導的な位置を占めていたウィーン学団の哲学、心理学の世界において並立していたフロイトの学説と関連づけてみようとしたものである。 ビューラーは、言語理論の展開において、とりわけ一研究部門としての音韻論の自立において核心となった「抽象の有意義性」の原理に依拠して、生の無垢の経験データは存在しないと考える。そして、マッハの経験主義の流れを汲み、カルナップの物理学主義に至るウィーン学団のテーゼを批判している。 フロイトについては、ショーペンハウアーの「黒の悲観主義」の影響下にあるとして、創造的行為に意味を見るという人間の明の部分に信頼を寄せる。フロイトの本能重視の考えとの連関で、ビューラーは、1927年のアメリカでの生活体験に基づいて、アメリカの行動主義心理学、アメリカの文明社会を批判的に捉えている。 |